「エネルギー資源開発連盟」は、2024年4月1日「石油鉱業連盟」から名称を変更しました。
前身となる、石油鉱業連盟(Japan Petroleum Development Association)は、1961年11月20日に「石油鉱業の健全な発展を図ること」を目的に創設されました。
戦後1960年頃までは、エネルギー面でわが国の復興と成長を支えてきた基盤は石炭でしたが、それ以降は石油が主役の座を占めるようになりました。外貨と国内エネルギー資源が乏しかったわが国は、石油の輸入を制限し、国内石炭、国内石油を保護してきました。わが国企業が海外で自主開発した原油の国内引取りも、こうした輸入外貨割当のシステムの中に組み込まれておりました。
日本は、当時、貿易の自由化を進めることが経済政策上の大きな課題でした。原油価格が大幅に下落している中での原油の輸入自由化は、国内産原油の競争力あるいは自主開発原油の引取りにとっては大きな脅威でした。
このような情勢変化に対応するため、当時の石油鉱業会社4社(帝国石油梶A石油資源開発梶Aアラビア石油梶A北スマトラ石油開発協力梶jは、1961年5月に石油鉱業懇話会を結成しました。これが現在のエネルギー資源開発連盟の母体となっております。
当連盟は、石油業法の制定や、国産原油引取り保証のための関税還付制度の確立に注力いたしました。今日では経済環境が変わりこれらの制度はいずれも廃止されておりますが、貿易自由化の出発点においてはこのような仕組みが必要でありました。
また、当連盟は、わが国の急速に高まるエネルギー需要を支え、石油の安定供給を確保するためには、わが国企業による石油の自主開発の推進が不可欠であるとの認識のもとに、自ら内外の開発に取り組む一方、国内及び海外の石油開発への民間企業の積極的な取り組みに対する支援措置等について種々の政策提言を行ってまいりました。
1967年10月の石油開発公団(後の石油公団)創設や税法上の措置等は、多くの日本企業に対して海外での石油開発投資に目を向けさせるとともに、石油鉱業の新規探鉱を促進しました。1973年の第四次中東戦争に端を発する第一次石油危機、1978年イランのイスラム革命に惹起された第二次石油危機による原油の供給不安は、自主開発の機運をさらに高め、多数の石油開発会社が設立されました(当連盟の加盟会社は過去最多時28社)。
しかし、1980年代半ば以降、原油価格の大幅な下落、円の対ドル為替レートの大幅な上昇等によって、石油開発を取り巻く環境が非常に厳しいものになり、多くの会社の整理・統合が行われた結果、2000年には当連盟の加盟会社は20社となりました。その後、行財政改革の流れの中で、2002年に石油公団の廃止が決定され、2004年2月には、同公団の支援機能を承継した独立行政法人石油天然ガス・金属鉱物資源機構(JOGMEC)が設立される中、同公団保有資産の処分にあたり、2003年には石油資源開発梶A2004年には国際石油開発鰍フ(現 蟹NPEX)株式の東京証券取引所上場がそれぞれ実現し、その他の個別資産の多くも民間企業へ譲渡が進みました。当連盟加盟会社は2024年4月現在18社となっております。
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